ちょっと小話コーナー Short Story
ご意見などは、掲示板で待っています。

第282話 朝三暮四 第283話 夢は 第284話 二度ある事は
第285話   第286話   第287話  
           
小話保存壱号館へ 小話保存弐号館へ 小話保存参号館へ
  小話保存四号館へ   小話保存五号館へ   小話保存六号館へ
小話保存七号館へ 小話保存八号館へ

小話保存九号館へ

  小話保存拾号館へ   小話保存拾壱号館へ    

 第284話 二度ある事は

平成24年2月1


「二度ある事は 三度ある」

この格言は非常に身近にあり誰にでもよく使われているものと思います。私も子供の頃から年寄りによく聞かされた覚えがあります。

本来の意味あいとしては、物事とはよく繰り返すものであるから、もし二度同じようなことがあれば、続いてまたもう一度おこるものだということで、もともとは失敗を重ねないように用心せよという戒めとして用いられていたようであります。

しかし、格言とかことわざの中には、表裏どちらでも使えそうなのが、いろいろとあります。使う場面とか、あるいは時代の移り変わりで本来とは逆の意味を持つものも少なくありません。

そこで今回のお題も、よい事のためにある格言であると信じて前を向いていれば、あまりよくない事の多い現在に生きる多少の励みになりはしないでしょうか。

二度ある事は 三度ある との格言を、少しでも良いことがあれば、それをきっかけに二度目の良いことを迎えるべく心と行いで日々を送ります。そして二度目に恵まれたならば、二度もあったのだから三度目も必ずあるとプラス志向の趣で生きて行けば、必ず幸福者になれると思います。


 第283話 夢は

平成24年1月15


「夢は五臓のわずらい」

夢を見るのは五臓、つまり心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓が疲れているからだとされていますが、私は六腑から胃と膀胱も加わるものと思います。
夢はどのようなときに見るものかについていろいろ研究されているようですが、はっきり分かっていることは寝ているときに見るものだということぐらいらしい。しかし、五臓の疲れも夢を見る大きな原因の一つではあるとのことです。

思い出せば、五臓の疲れをまだ知らない子供の頃でも夢は見ました。その夢は楽しい夢であったように思います。楽しい夢は体のどの部分が製造するのでしょうかね。それが現在では、イヤな苦しい夢ばかり見るのは、長年にわたり駆使してきた五臓が疲れているのかと納得のいくところです。つまり、楽しい夢と、イヤな夢とは製造する体の部分が異なるのでしょうか。

だいたい、何時までに何々をせねばならないとか、何処そこに行かねばならないという心配事が迫ってくると、微妙に体のバランスが精神的な緊張とともに崩れて、五臓に疲れとして蓄積されて、寝ていても、思考回路が眠りきれずに騒ぐのでしょうね。

しかし、私がまだ働き盛りの頃に仕事上の難問が未解決のまま夜になり、寝床でその打開策を夢で見て、その夢を実践して助かったことが幾度もありました。
また、最近にでも趣味の機械がどうしても上手く組み立てられない場面で、その解決手順が夢に出てきてうまく行ったこともあります。

要するに、生きていく上で追い詰められて見る夢のように精神的なものは、脳の中が眠りきれずに夢となってあらわれるのか、その精神的苦痛が五臓に疲労を蓄積して、夢として現れるのか疑問が残りますね。まあ、それにしても五臓はある程度気を付けて節制することはできでも、精神は節制するのは至難ということで、昔から「夢は五臓のわずらい」として捉えられてきたのでしょうか。

今年も新年の早々に、呑み過ぎと食べ過ぎでふうふう言いながら寝床に入ったら、初夢とやらに出会いました。何の夢かは覚えてはいませんが、あまりいい夢ではなかったことは確かです。
これからは、私の体のいずれの部分品も製造打ち切り後の保守期限切れで取替え出来ない事態となっております。一個一個の部分品を大切に、擦り切れることのないように大切に使い、疲れからくる夢と出会うことが、一回でも少なくなるように日々点検整備に努めて参ります。


 第282話 朝三暮四

平成24年1月1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------

年の初めのお題には、何かこの一年の目標をと考えてはみるものの過去を振り返れば、なかなか年を通じて実践することの難しさを今更痛感する次第です。
そこで本年は、己の年齢をも考え併せて、これだけは肝に銘じて事の大小に関わらずに常に心に持ち続けて参りたいと「朝三暮四」を考えてみました。

朝三暮四とは、結果的には同じであることに気がつかず、目先の差にこだわることのたとえとされています。目前を重んじるばかりに、行く先で結果が同じであることを読めない、いわば薄ぺらい人間になってしまうことを戒めているものであります。
あと一つ少し意味合いの違うのに我田引水的に、まるで有利であるかのように言葉巧みに人をたぶらかすことにも使われていますが、今回はこれにはふれずにおきます。

そもそもの語源は、猿に餌のとちの実を「朝三つ、夕方四つやろう」と言ったら反発したので、それでは「朝四つ、夕方三つやろう」と言ったら喜んだという。
猿のお話しの故事は、宋の時代でつまり1500年以上も前のお話に基づいています。しかし、時とは関係なく故事に示される格言には、そのほとんどが現在にも立派に通じることが多いものです。
だとすると、ややもすると現在の情報化時代において、将来の不透明よりも、現実の目先にこだわる現在の風習は、故事に関わることなく、猿の朝四暮三の考えが主流ではないのでしょうか。
また、「朝三暮四」ほどの格言ではないにしろ、広く知られている「美味いものは宵に喰え」、という格言もあります。

よく辺りを見合わせれば、近頃の風習としてはやはり先々に大きくなるという結果を待てずに、目先にある現実を手にする堅実な道を選ぶのが普通ではないかとも思われます。
かく申す私も、 どうも人間を長くやっていますと、気が長くなるように思われ勝ちですが、実際はその逆であると思っています。

しかし、本来の人間としての生き様としては、目先の差を把握しつつも、全体としての結果をじっと見据えて、ゆったりと構えて暮らすことの大切さが求められているのも事実ではないでしょうか。
年の初めの、お題としまして「朝三暮四」を掲げまして、このお題が持ちます意味と、現実の現在にある矛盾点を比較して考えて、決して目先の差だけに拘ることのない、長い目線を身につけていきたいと考えています。



   保存壱号館へ 弐号館 参号館 四号館 五号館 六号館

   七号館 八号館 九号館   拾号館 拾壱号館